オナホキングダム 僕がオナホなオナニストになるまで 前編
(投稿日:-/-/- 更新日:2024/3/5)
みなさんこんにちはせがわPです。 食事や睡眠同様、もはや毎日の習慣といっても過言ではないオナニーですが、みなさんはいつごろからオナニーに目覚めましたでしょうか。
オナニーに興味を持った「BOYS BE…」
個人的にオナニーに興味を持ったのは、当時週刊少年マガジンで連載されていました「BOYS BE…」という漫画でした。 写真はまさかのセックスシーンで「BOYS BE…」を超えたと言われる瀬尾公治先生の作品「君のいる町」。 元気系巨乳娘から黒髪ツンデレ巨乳、スポーツ系高質貧乳娘のパンツから漏れ出す蒸れた匂い、バランス型美少女との子作りまで何でもアリじゃけぇ。 恋愛漫画の名作じゃ!
オナホユーザーの方々は、いつから何をきっかけとして、オナホールを使用したオナニーにハマったか、覚えていらっしゃいますか。 今回は前編後編にわたりまして、せがわPの自己紹介も兼ねて、オナニーにハマったきっかけや、オナホオナニストとして覚醒したときの様子などをお話ししたいと思います。
現代の“萌え”を体現する画風よりも、少しベタベタすぎるくらいの90年代テイストのほうが、個人としてオナニーの衝動をかき立てられます。 川尻よしひろ先生の抜き漫画「ファイト一発!!」も、思春期のせがわPとしては衝撃的な内容でした。 今も色あせないです(^^)
まず前編では、オナニーに欠かせない性衝動の源「オカズ」について、お話しさせていただきます。 オナニーと言う行為に及ぶきっかけは、往々にして性衝動を引き起こす「オカズ」の存在を認識することから始まります。 勝手ながら、せがわPのオカズ遍歴をご紹介しましょう。
せがわPの「オカズ」遍歴
90年代初頭は二次元的性表現として、ライトノベルあたりから、ソフトなエロ表現が散見され始めた時期でした。 テレビアニメの観点からも「BLUESEED」や「爆烈ハンター」、ちょっと新しいところでは「機動戦艦ナデシコ」と、“オカズとしての萌え”という発想が確立してくる時期でもあります。 今でこそ!ラノベも原作アニメになる機会が多く、市民権を得てきた感がありますが。 ちなみに当時の変身魔法少女シリーズは、どこか犯してはいけない“聖域”のような位置づけと認識しています。
結論から申し上げますと、せがわPの「オカズ」の基準は美少女ゲームであり、 3.5インチフロッピーディスク10何枚組の美少女ゲームがやりたくてパソコンの仕組みを独学で学び、今の自分があると自負しています。
せがわPは幼少の頃からアニメが大好きでした(今もですが)。 小中学校と部活動は入っていなかったので、毎日速攻で帰宅しては、ほぼ全てのTV放映されているアニメを録画したものを、何度も繰り返し観ていました。 各アニメ、毎話とも作画監督にこだわるほど、アニメが好きでした。 1995年にはあの名作、「エヴァンゲリオン」を通して、アニメが大ブレークを迎える時期に突入します。
とにかくアニメの情報を収集するために、「アニメージュ」、「アニメディア」、「月刊ニュータイプ」は必須で毎月購入していました。 当時は携帯電話も、インターネットも普及していませんでした。
月イチの楽しみ……そのとき本屋で発見したのは、アニメ誌の隣に陳列されていたPCゲーム誌でした。 当時アニメを通して美少女ばかり妄想していたので (今もですが)、 かわいい美少女キャラが表紙になって、パンツやおっぱいがチラ見えしている雑誌に興味がわかないはずがありません! ある日、意を決して購入したのは、「パソコンパラダイス」という美少女ゲーム、今で言うギャルゲーレビューの雑誌でした。
せがわPのギャルゲーライフ
そこからせがわPのギャルゲーライフが始まります。 「愛姉妹」「鬼畜王ランス」「Libido7 Impact」「美乳ハンター」「瑠璃色の雪」「無垢」。 ギャルゲーで抜くために高校では物理部というPC部に所属し、『いかにストレスなくギャルゲーと右手で抜くか』をテーマに高校の3年間を過ごしました。 当時のパソコンに至っては、記録媒体が3.5インチフロッピーディスクが当然という時代だったのです。
せがわPが今日ハマっている同人作家さん「珈琲貴族」先生です。 先生の肌色の質感、肉感、処女性を感じさせながらもスケベとエロを高次元で成立させる画風には、ただただ脱帽して抜くばかりです。
その間にも成年コミック雑誌「漫画アクションピザッツ」や、コミケで購入するエロ同人誌、 「同級生」をはじめとしたエロアニメとの出会いがあり、ますます二次元エロにハマっていったことは言うまでもありません。 このとき、巷でよく言われる「こんにゃくオナニー」なども試してみたのですが、好みに合いませんでした。 ちなみに1990年代当時のオナホールはあるにはあったのですが、クオリティの割には高額でなかなか手は出ませんでした。
青春時代、友人には同じく我こそは!と、旗を掲げるオナニストが数名いました。 アダルトビデオを編集して、抜けるシーンだけを集めることに青春をかける「編集長」、 今でいう「床オナ」の可能性を体現し、正当性を訴え続けた「ラミエル」。
彼らにもまた彼らなりの「オカズ」との出会いがあり、オナニストとしての青春を謳歌していました。 「オナニーに正解はないし、すべてが正解」。 当時、彼らと固い握手を交わして見出した解は、今でも常々、それこそが正解だと考えています。
故に、今日のオナホ売場はまさに夢の国なのです! こんなにも切磋琢磨されているエロイラストに囲まれる空間で、どうして自分を抑え込めるでしょうか!抑え込む必要があるでしょうか!
艶めかしく華やかなAV女優さんのパッケージにも心奪われますが……。 つまり、アダルトショップは楽しいってことです。
前置きが長くなりましたが、せがわPのオカズは往々にして二次元が多いということです。 もちろん三次元のAV女優さんにもお世話になりっぱなしですが。 だからこそ!今日のオナホール売り場には夢がいっぱい! まさに子供がおもちゃ売り場を闊歩してワクワクするように、オナホ売場を訪れてはワクワクしているわけです。
せがわPとオナホールの出会い
さて、せがわPとオナホールはいったいどのように出会ったのでしょうか? 結論から申し上げますと、とある失恋からオナホールの世界に飛び込んだのです。 運命の失恋と、運命の出会いを迎えた2004年でした。
せがわPにだって昔は、それなりの恋愛があったのです。 結果としてフラれてしまいましたが……しかし!それはそれ。 人生は1度きりなので楽しまないと損だよね、という発想は今も昔も変わりませんでした。 一般的に、人は失恋をしたら、その悔しさや悲しみを忘れバネに変えるために、美味しいものを食べたり、友人とはっちゃけたり、はたまた性風俗で傷をいやす戦士も多く見かけるものです。 せがわPはそのときふとした思いから、アダルトグッズのお店に行き、オナホールをゲットしたのでした。
たまたま地元の街にアダルトグッズのお店があったので、最初はなんとなく興味半分でお店に行ってみたのですが。 2004年当時はようやくオナホールにも、性能や価格帯に、バリエーションが表れ始めた時期でした。 それこそ値段も数万円のオナホールから数百円まで、要は手軽にオナホールを入手できる時代が来ていたのです。
パッケージの二次元イラストはまだまだ荒削りだったことを思い出しますが、しかし売り場に響くAVの喘ぎ声とエロを沸々とさせるイラスト・文言は、当時のせがわPを行動させるに十分でした。
当時といえばトレンドにもなった「超!人肌素材」。 ゲルトーマ素材のオナホールです。 当時人気を博したオナホールは、現在でも入手可能です。
たしかに当時もオナホールのトレンドはあったのですが、当初はあまり気持ちいい!! ……とまでは高まらず、パッケージもぜんぜんエロくなく。 相変わらず右手、左手、オナホールとまちまちで、行為よりもオカズのクオリティ向上に躍起になっていたのですが。 2007年に「オナホを研究しよう」と思わせてくれる、1つの低価格オナホと出会います。
せがわPもやはり低価格帯のオナホールから本格的に入りました。 しかし低価格には低価格帯ならではのメリット、デメリットがあることなんて当時は知る由もありませんでした。
次回は、ついにオナホキングダム誕生秘話! せがわPとオナホールが本格的に出会い、オナホールに感動し、悩み、そして気づき…… オナホールの真実を求めるに至るまでのエピソードをご紹介します。 お楽しみに!